わかりやすい親でいようと思う

こどもにこうしてね、って言うときはちゃんとスジが通るように気をつけている

親の言うことが一貫していなかったり、後付けでルールを課したのでは子供がどうしていいかわからなくなってしまうだろう
この前はいいよって言ったのに今日は今日はダメだとか、さっきまで何も言ってなかったのに、突然今すぐやめろやめないと置いて帰るよとか言い出したのでは子供たちも困るのではないかと

それでギャーとか言ってるこどもをよく見かける

ウチの子の場合あらかじめ言っておけばたいてい従ってくれる あと10分で、とかあと3回やったら終わりよ、と言っておくとちゃんと自分で時計を見たり回数を数えたり
扱いやすくていい子だな、と思っていたらウチの子がというわけではなくてそういうものらしい

ウチはたぶんヨソとくらべて早いうちにこづかい制に移行した
これも、このまえは言ったら買ってくれたのに今日は買ってくれないギャーみたいなのを避けるのが目的

で、親は親が買ってあげたいと思ったら買ってあげるけど自分が買うものは自分のお金で、っていうことを基本にしている
ジュースとかアイスとかゲームとかカードの入ったお菓子とか このへん親が買ってると止めどきが決まらない
もうこのへんでやめとこうと思ってもこどもはいくらでもほしいからなんでやめるのか理解できない

おこづかいを渡しておいて自分で買いなさいってことにしていると、ちゃんと価値を判断しているっぽくてジュースもアイスもゲームもカードのお菓子も買わない
有料のキッズスペースで遊ぶのを楽しみに500円貯めている
(それは親がだしてあげるつもりだったんだけど自分で納得してやってるので止めない)
とてもこづかいでは買えないものはサンタさんにお願いするとか、○○円たまったら後は出してあげるとかいう約束にする

実はこども相手のときだけではなくて大人相手でもそうしたほうがずっと伝わりやすいんだよな 

正しいことより信じることを

ビジネス書なり自己啓発書なり誰かの伝記を読んで、何かを始めようと思ったとする
そのとき、「正しいから」とか「うまくいきそうだから」という理由で始めるのはうまくいかない
いや、うまくいくかいかないかってことではないんだけれども
それよりも、「これはいいことだ」と信じられることをしたほうがいい
みんなの役に立つとかでもいいし、かっこいいからという自己中心な発想でもかまわない
「いいこと」という言葉の縛りがあれば、悪いことをしようってことにはならないだろう

「正しい」とか「うまくいく」みたいなことは外部に要因があって、うまくいくかどうかは実際のところやってみなければわからない
誰かがそれは違うんじゃないかと言ってきたりとか、これはどうもうまく行きそうにないぞと思ったりするとそこでモチベーションが揺らいでしまう
一方で、「よいことだ」と心から信じられることであれば外部の要因や結果の見通しに関わらずモチベーションを保つことができる

あの人がこうやって成功したから俺も同じようにやってみよう、だと成功しそうになければ疑いが生まれ、やーめたとなってしまうけれども
あの人のこういうところがカッコイイ憧れる俺もやりたい、であればそれを続けるかどうかの基準は自分の中にある

基準は自分の中に作りたい、って話

テロリストたちは信じることをやってるんだろうなあ、と思うとそれも100%じゃないんだなあとは思うんだけれども

人の書いた文を直すときに心がけていること

仕事の役割上、人の書いた文章を確認することがたびたびあります
出版社とかってわけではなくて仕事に使うメールの内容程度のものなので
美しい文章とかそういう部分にこだわるわけではありません
気をつけることといえば内容が誤解なく伝わることと、正しい用語を使うこと、相手に失礼にならないこと、くらい
場合によっては一字一句コメントを入れることもありますがほとんどの場合そこまですることはありません

で、どういうことに心がけているかというと書かれた文を尊重する、ということ
直すときもできるだけ元の文を生かすように考えます

一から書き直したくなることもありますが、ぐっとこらえて手直しします
かえって時間がかかってる感じもしますが

直すのは明確な理由をつけられる部分のみにします
チームメンバー相手だったら理由も説明します 指導というわけでなく説明
好き嫌いのレベルだなと思ったら言わない、またはこんな書き方もあるんじゃない?程度に抑えときます

っていうのはそもそも書く気がなくなってしまっては元も子もないですから
俺の書いた文章なんてだめだー、とかそんなに言うならお前が最初から書け、とか思われては元も子もないので

ときには日本語から教えなきゃいけないのかと絶望することもあります
言ったからといってすぐにできるようになるとも限らないし
自分とは違う観点で気をつけてるのかもしれないし

いつかは・・・と思って続けています

子供の習いごと

ネットで、子供を○○教室に行かせたけど○○ができるようになったくらいでなんの役にも立たなかった、なんていう書き込みを見かけた
 
子供の習いごとって、練習して上達してうれしい、っていう体験が一番大事なんじゃなかろうか
そうして、習ったこと以外のことも練習して上達しよう、という考え方になってほしい
 
あと、自分に自信を持てるということ
苦しい状況になったとき、以前にそういうことを乗り越えたことがあるというのは前向きに取り組むために大きな支えになるはず
 
それにくらべれば、○○ができるようになった、というのは副産物でいいくらい
ピアノとか水泳とか習わせたとして、それ自体で生計を立てられるなんてことはほとんどないわけだし
子供が、今はわからないけど将来何かやりたいことを見つけたときに役立つ何かが身についているはず
そういう視点で習いごとを見ている

習慣や心がけをモノにするタイミング

本を読んだり自分で気づいたりして、こうするといいんじゃないか?と何か始めようとする
いいことなはずなんだけどなんだか続かない
いつのまにか忘れてしまった、なんてことがよく発生する
 
そもそもなにかを継続するというのが苦手ということもあるけど
一方ですんなり身についてしまうこともある
 
なんでかと考えてみると、続かないときは何か下地になるものが足りてないのかなと
下地があって、いいタイミングで始めればすんなり自然と自分のものになるんじゃないかという
段階を踏んで進むことが重要
 
始めるだけ始めてみて、しっくりこないようだったら将来を期すってくらいでいいのかもしれない
少しずつ成長して、時期が来た時にまた思い出せるようにしておくのがいいかな
 
がっつりゴールを設定して無理やり達成するっていうやりかたもアリだしあこがれる部分もあるんだけどね

やっぱアプリ間連携ってあってしかるべきだな

いろいろ不具合がでてたiOS8ですが8.0.2まで更新されたんでもう大丈夫だろうとインストールしてみました

IMEにも期待してましたがATOKはなにやらいろいろとiOSの仕様に阻まれて使い勝手がよくないようだししばらくは様子見 ただカーソルキーらしきものがあるのはうれしいところ 苦しいところもあると思いますが期待しています > ジャストシステムさま

でやっぱりこうでないとねと思ったのはアプリの機能拡張
使ってみたのはSafariで表示しているページをEvernoteにクリップする、ってくらいですがまあ便利っていうか、やっぱこれくらいできないとねって感じ
一歩コンピュータに近づいた感があります
一昔前なら最高級のデスクトップPCでも望めなかったようなハードを持ってるんだからぜひもっとコンピュータっぽくなっていただきたい

アプリ間連携ができるとなると次に期待するのはAppleScript的なしくみかな
そこまでできればもうほとんどコンピュータと言える
セルフ開発が自在にできるくらいになればいうことないけど

ね > アラン・ケイさま

iPhoneやiPadのキーボードにカーソルキーがないのはさすがのAppleも省略しすぎだな

iOSを使っていて一番ストレスなのは、文を修正しようとして適当な位置にカーソルを合わせること

Siriとかあってもいまだに文字は入力のメインだし、修正することも多い
それなのにカーソルの合わせづらさときたら!
個人的には物理キーがあってもいいくらいだと思うほど

iOS機にカーソルキーは似合わないとジョブズが考えたんだとしたら、カーソルキーを超えるインタフェースを考えてほしかった
今のインタフェースは、iOSっぽさはあるけれども使いやすさは最悪クラス

iOS8でついにサードパーティ製のIMEが使えるようになるので超期待している
カーソルキーがあるだけで買う
iPad用には数字や記号、ESCやTabなども入れた普通のフルキーボードがあってくれたらとてもうれしい