1万円とAさんとBさんの話をいじくってみた

くわしくはコレを見てもらうとして(ここが初出ではないと思うけど)、

b.hatena.ne.jp

こんなお話。

  1. AさんとBさんがいる世界がありました。Aさんは1万円持っていました。この時点で世界の富は1万円です。
  2. Bさんは1万円がほしかったので、Aさんのために家を作ってあげて、Aさんに1万円で売りました。
  3. Aさんは1万円の家を持っており、Bさんは1万円を持っています。この時点で世界の富は2万円になりました。
  4. 今度はAさんが1万円をほしくなり、Bさんのために家を作ってあげて、Bさんに1万円で売りました。
  5. AさんとBさんはそれぞれ1万円の家を持っており、Aさんが1万円を持っています。世界の富は3万円になりました。
  6. 繰り返せばどんどん富が増えるよ!だから、お金を儲けることに遠慮なんてしないで!

というお話。

まず、このお話から、お金に関わる部分を抜いてみましょう。

  1. AさんとBさんがいる世界がありました。この時点で世界には何もありません。
  2. BさんはAさんのために家を作ってあげました。
  3. Aさんは家を持っています。Bさんは何も持っていません。この時点で世界には家が1軒あります。
  4. 今度はAさんがBさんのために家を作ってあげました。
  5. AさんとBさんはそれぞれ1軒の家を持っています。世界には家が2軒あります。
  6. 繰り返せばどんどん家が増えるよ!

お話はちゃんと成り立ってますね。では次に、元のお話から、家に関わる部分を抜いてみましょう。

  1. AさんとBさんがいる世界がありました。Aさんが1万円持っていました。この時点で世界の富は1万円です。
  2. Bさんは1万円がほしくなりました。AさんはBさんに1万円をあげました。
  3. Aさんは何も持っていません。Bさんは1万円を持っています。この時点で世界の富は1万円になりました。
  4. 今度はAさんが1万円をほしくなりました。BさんはAさんに1万円をあげました。
  5. Aさんは1万円を持っています。Bさんは何も持っていません。この時点で世界の富は1万円になりました。
  6. 繰り返せば・・・

わざとらしいですが、大事なのはお互いのために家を作ってあげた、ってことですね。そこが抜けてはなんにもなりません。もちろん、お金が役に立たないわけではありません。それどころか、お金よりいい手段がなくて人間は何千年もお金を使っているわけです。つまり、元の話だけではお金の便利なところを説明しきれていないんですね。

お金のない世界ではこういう話になるかもしれません。

  1. AさんとBさんがいる世界がありました。この時点で世界には何もありません。
  2. BさんはAさんのために家を作りました。
  3. Aさんは家がほしくありません。
  4. ゲームオーバー

お金があったら、こんな風になったかもしれません。

  1. AさんとBさんとCさんがそれぞれ1万円を持っている世界がありました。この時点で世界の富は3万円です。
  2. Bさんは1万円ほしかったので家を作りました。その家はAさんの好みには合いませんでしたが、Cさんは気に入ったのでBさんは家をCさんに1万円で売りました。
  3. Cさんは1万円の家を持っており、Bさんは2万円、Aさんは1万円を持っています。この時点で世界の富は4万円になりました。
  4. 繰り返せば・・・

さらに、お店(というか不動産屋)があれば・・・

  1. AさんとBさんとお店がそれぞれ2万円を持っている世界がありました。この時点で世界の富は6万円です。
  2. Bさんはお金がほしかったので家を作りました。その家は1万円以上の価値がありそうな気がしましたが、買ってくれる人を探すのが面倒なのでお店に売ることにしました。
  3. お店の人は、その家なら1万円以上で売れると思ったので、Bさんから1万円で家を買いました。
  4. お店の人はAさんがその家を気に入ったことを知り、家をAさんに2万円で売りました。
  5. Aさんは2万円の家を持っており、Bさんとお店の人は3万円を持っています。この時点で世界の富は8万円になりました。
  6. 繰り返せば・・・

そろそろ元の話のシンプルさが失われてきましたので終わり。AさんがBさんにお金を貸したり、株券を発行したり、ニセ札を作ったり、国がお札を刷ったりしたらどうなるかも書いてみたいけど、ますますややこしくなりそう。しばらく寝かしてみる。

子供のじゃまをしない

お子様の集中力を向上します、なんていううたい文句をよく見かける。しかし、子供が好きなことをしているときの集中力はもともとすごいもの。呼んでも聞こえてないなんてこともある。

どちらかというと、子供の集中力を下げる要因を、親が作っていたりしないだろうか。何かしているときにテレビをつけっぱなしにしていたり、子供が集中しているときに大人が横からあれしなさいこれしなさいと割り込みを入れたり。

何かやっているときにテレビがついていれば、それ自体集中力を下げることになる。親がテレビをつけっぱなしにしながら何かをやっていれば、子供はそういうものだと思って自分が何かするときもテレビをつけっぱなしにする。そういう状態でテレビを消しなさいと言っても素直には聞いてくれないだろう。実際ウチでもテレビはかなり悪い方向で習慣づいていたが、気づいてからはやるか見るかどっちかにしようね、などと声をかけることを繰り返し、自分も気づいたらテレビを消すようにしたところ、最近はときどき自分でテレビを消してからお勉強を始めたりするようになった。

子供が自分から何かやっているときはできるだけじゃまをしないように心がけている。ほめ言葉をかけるのもタイミングを見計らう。口を出したくなるときも多いが、自分からどうするか考えてるようになってほしいので、うるさく指示を出すようなことはせず、ときどきこうしたらどうかと提案したり、環境づくりで支援する程度にとどめるようにしている。 

好きなこと、やりたいことといっても子供だけにあれもこれもやりたがるし、あれこれいろんなものになりたいと言っている。今はアイドル、女優、看護師、客室乗務員など日替わりレベルだ。多くは一時のブームで終わるだろう。ここのところしばらくはファッションデザイナーがメインで色鉛筆を出してきていろいろ描いていたが、最近はアクセサリーデザイナーやネイリストにも興味を持っているようだ。今はそれでいいと思っている。いろんなお仕事を紹介している本を買ってきてあげたくらいだ。

まず、気がついたらやっている、放っておいたらいつまでもやっている、といったことを見逃さないようにしたい。そういうことこそ一生好きで続けていけるものになると思うから。上手下手は問題ではない。何十年も好きで続けることができればそれだけで幸せなことであるし、結果として自分だけの何かに到達しているに違いない。

子供の習いごと2


上達するってこと自体が大事でしょ、って話を以前書いたけれども、到達するレベルというのも大事だと思う。
というのは、なんとなくの想像っていうかイメージにすぎないけど、子供のころに打ち込んだ何かで到達したレベルって、成長してからもひとつの壁になるような気がするから。例えば、一度何かで全国大会の上位に入るくらいまで行けた子は、将来何かほかのことをやっても同じようなレベルまで到達できるのに対し、地区大会レベルまでしか経験してない子はほかのことをやったとき地区大会のレベルを超えるところで足踏みする、なんてこと。
それは、全国レベルまで到達できるような練習方法だとか努力とかを身につけてるってこともあるんだけれども、なにかこう、メンタルなところで自分はここらへんまでは行ける、と信じられるかどうかっていうのが意外と影響しそうな気がしている。いわゆる「壁」ってやつはそういうことなんじゃないかと思ったり。
親の方はそれほど高いレベルに到達してるわけでもないんだけど、「壁」の存在やそれを超えることの大変さは経験で実感しているので。だから、なにかを始めたら、一度とことんまでやらせてみようと思っている。

ヨメとの性格の違いとMBTIの話

感情が表情に、思ったことが言葉に表れるまでの過程が
ヨメとダンナでまったく違います

ヨメは内面と外面が直結しています
イラッとしているときは眉間にシワ寄ってますし
思ったことはそのまま口に出ます
これを言ったらどうなるかとか考えていません

一方ダンナは感情を表に出すことを恐れる傾向があります
怒ったときにもあまり怒った顔をしません
ポーカーフェイスを気取ってるというより、怒った顔をするのが怖いのです
泣くのも笑うのも苦手
思ったことがあっても、口にするまでには
言っていいことか
どういう言葉を使うべきか
論理に破綻はないか
相手は怒らないか
などいろいろフィルターをかけてやっと口にする、またはしない
となるのです

例を挙げます
ヨメの誕生日プレゼントに、ヨメの好きなブランドのアクセサリーを
買ってきたことがありました
まあここのやつならと割合安心してはいどうぞと渡したんですが
箱を開けて第一声

 あー、これよりあっちのほうがよかった

それ以来、自分でプレゼントを選ぶことはなくなりました
自分は内心あちゃーと思っても顔にも口にも出しません

もうひとつ
子供はハッピーセット狙いでマクドナルドに行こうとしますが
ヨメはマクドナルドが嫌いです 行きたくありません
ところがヨメは子供にこう聞くのです

 ねえ、今日の昼ごはんどうする?マクドナルドがいい?

そして子供

 うん、マクドナルドがいい!

いやいやいや、そうやって聞いたらその答え見え見えじゃないですか
自爆もいいとこですよ
今日はラーメン屋さん行こうかとかそういう切り出し方しないんですか

なんてことを言うとまるでウチのヨメが頭悪いみたいですが
実際のところヨメのほうがダンナより圧倒的に真っ当な人間です
逆にダンナのほうが人間として何か欠落している方で

そうやって落ち着いて考えられるようになったきっかけには
MBTIってやつがあります
性格診断みたいなものなんですがきちんとしたやり方があって
信頼性も高いと思います

自分はちょうどいいタイミングでMBTIを受けてその考え方を知りました
診断結果も出たんですが、診断結果よりも
考えてから口に出す人もいれば、口にしながら考える人もいるんだ
と聞いたのが衝撃で
ああ、自分とヨメはまさにそれだ、と一撃で納得したのでした
それがMBTIのどのタイプのことを言っていたのか今となっては
よく思い出せないのですが・・・

とにかく今なかよくやれてるのはあのMBTIのおかげが何割かあるのは
間違いないと思っています

できればヨメと二人でもう一度MBTIを受けて、ヨメにも自分のタイプを
把握してもらいたいなあと思うんですが、安いものでもないし
説得できる気がちょっとしません

受けたらヨメとダンナのタイプが正反対に出ることはほぼ確信しています
でもなんかそれなりにうまいこといってるんです 不思議不思議

私が手帳を使えるようになるまでの話

子供のころから忘れものの多い人でした
さんざん怒られましたがいっこうに改善せず
大学生のころに手帳を何度か買ってみましたがほとんど使わないうちにお蔵入り
社会人になっても相変わらず予定をすっぽかしたり頼まれた仕事を忘れたり

さすがにこりゃまずい、ほんとに手帳使えるようにならないと、と思ったのは
もう就職して何年も経ったころだったと思います(遅すぎ)

しかしそれまでできなかったことが急にできるはずもなく
手帳に書いても読まないからすっぽかしたり
PCでやってみようかと試したり

本は好きなので手帳関連の本をいろいろ読みました
読んで刺激を受けるとしばらくはやってみるんですがしばらくすると
終わってしまっています
ブックオフ行きにならず、今でも残っている7つの習慣系の何冊かだけ
しかも、今できているのはフランクリンプランナーみたいな高度な
使い方じゃなくて予定とかToDoをだいたい忘れない程度の話です
できるようになるための特効薬にはなりませんでした

そんなこんなで

そういえば最近予定やタスクを忘れて失敗っていうのがなくなった
かなあ、と思えたのは15年目くらいのときでしょうか
やばいと思ってから10年くらい経ってることになります
10年間で手帳に書くということを身につけるためにどんなことをしたのかと

振り返ってみますと以下のような点にまとめられると思います

習慣化する

これは、身につけるというのをちょっと言い換えたにすぎませんが
「身につける」という言い方よりも具体的になっています
こういう時にはこうする、というのをパターン化するということです
体で覚える、とも言います
ここから下は、習慣化するための方法になります

シンプルに始める

いいことっぽいことでも最初からアレもコレもはできません
結局のところ最初にできたのは、ただ予定やToDoを書き、見ることだけ
それができるようになったら、ToDoを細分化して進めやすくしたり、
逆に粒度の大きな目標を考えたりすることが少しずつできるように
なってきました
そのうちフランクリンプランナーみたいな使い方もできるようになるかも
しれません
最初はできる限りシンプルに

自然と実施できる環境を整える

書かなければならない予定が生まれたときさっと書ける環境に
なっていないと、面倒でやめてしまいます
また、手帳を見るのもわざわざ必要なときに見るというのでは
やはり見なくなってしまいます
習慣化しやすい環境を作るということが大事です
そこで、席に座ったら右手の横に手帳を開くということを始めました
それさえできれば、しょっちゅう目にしますしすぐに書けます

ミスってもリカバリできるようにする

一度見落としたり書き忘れたりしたらもうダメ、というやりかただと
私のような人間にはリスクが高すぎます
パターン化して行動することにより確率を高めてるわけですが、パターンを
外れたとたん忘れますので
何度も手帳を開いていると、ああそういえばアレがあった、みたいに
思い出せることがあります
月間スケジュールと週間スケジュールの間の転記も繰り返しやっていて
漏れに気づくのにひと役買っています
最初からちゃんと書いてれば転記もいらないだろうなんて話もありますが
私の場合はこのやり方があっているようです
何度も書き写している間に頭に入るという効果もある気がします

好きな道具を探す

手帳とペンはいろいろ試しました
やっぱりお気に入りの道具だと使おうって気になります
逆に、ちょっと使いにくいな、と思うと出すのも億劫になったり
5色ボールペンやシステム手帳などにもトライしましたが、結局
ペンはキャップレス万年筆、手帳は高橋書店のシンプルなやつに
落ち着きつつあります

実行できるレベルまでやることを具体化する

私の場合「予定ができたら手帳に書こう」というだけではうまくいかない
ことはこれまでの実績が示しています
上で書いた「席に座ったら手帳を開く」というのも(それも習慣と言えば習慣です
「席に座ったら手帳を開こう」でもなかなかできるようにはなりませんでした
「席に座ったら、マウスの右のこのスペースに手帳を開いて置く」まで
決めて初めてできるようになった感じです
置き場所を決めるというのは習慣化に有効なようです
子供に片付けを覚えさせるときにも「○○のおもちゃ」などと書いた
ラベルを貼ってやるとうんとスムーズになりました

繰り返しトライする

本を読んでも続かなくてすぐ終わってしまう、というのも前向きにとらえれば
本を読んでしばらくは続いてるということです
繰り返してやっていると、なにかコツをつかんだりするか効果を感じるのか
だんだん終わるまでの期間が長くなっていったように思います
まさしく一簣を覆す、ってやつです

まとめ

「好きな道具を探す」は「環境を整える」に入れることしてまとめると
こんな感じになります

  • 習慣化する
  • シンプルに始める
  • 環境を整える
  • リカバリできるようにする
  • 具体化する
  • 繰り返しトライする

たったこれだけのことができるようになっただけなんですが
どうも自分の中ではとても大事なこと扱いになっています
大げさな言い方ですが半生で最大の成功体験みたいな感じです
妙に自信を持ってしまっています
部活とか受験とか仕事とかでは感じたことのないタイプの自信です

これが10年くらいでできるようになったんだから、いままでできてなかった
アレとかコレはあと5年くらいでできるようになるんじゃないか、みたいな
アレもコレも、普通の人から見たらその年でまだそんなこといってんの、
みたいなレベルのことなんですけれども

それだけ、こればっかりは生まれつきでどうしようもない、と大きな壁に
感じていたんだろうなあと思います
それが、ただ改善したというだけではなく、いろいろ方法を考えた結果
改善できた、克服するための方法論を持てたということが大事な気がします

何十年か後に振り返ったら、やっぱりあのことは大事だったな、と思うこと
でしょう
また何か似たことを書くかもしれません

今でもハンカチとか財布とかはよく忘れたまま出かけてしまいますがね

考え方を考える、という考え方

子供に何か教えようとするときの話
素直な子なら○○しなさいと言えばそれだけでできるようになるだろう
でも、なぜ○○するのか、きちんと理由を教えてあげたい
言われたからそのとおりにしてます
というだけでは他人の考えにコントロールされているだけ
自分から行動できるようになったわけではないから
しかしただ理由を教えるだけでは足りない気がする

食事中にテレビのほうを見ながら食べててごはんをこぼす
よそ見しながら食べるとこぼしちゃうから、ちゃんと手元を見て食べようね
と教えてあげて、ちゃんとわかってそのとおりにできるようになったとする
事象と理由と対処のデータベースはできていくだろうが
それだけでは他人に与えられたものを貯めているだけっぽい感じ

自分で考えて○○できるようになってもらいたい
自分で問題を見つけ、理由や対策を自分で考えて行動できるようになってほしい

そのためにはどんな考え方を身につければよいのかと考えて気がついた
「どんな考え方を身につければよいのか」と考えるような人になってほしいんだ
どう考えるのがよいか考える、という考え方
それができれば森羅万象どんなことに対しても考えを深めていくことができるだろう

この人がこんなことをした
この人はどう考えてこうしたのか
この人がそういう考えをしたのはどういう思考が背景にあるのか

しかし小さい子にはまだそういった考え方は難しいだろう
何歳ぐらいになれば理解できるようになるだろうか
相当抽象的だし、下手すりゃ一生そんなこと考えもしない人だっていそうだ
この間書いたけど、何かが身につくにはタイミングってのがあると思う

導いていくにはどうすればいいだろうか
自分はこう考えたんだよ、といったことを説明していくのがよいのか
それはなぜ?と考えることを促すのがよいのか
ただ本人に任せて見守ってる以外にできることはあるのか
逆に周りはあれこれ助けてあげないでただ見守っているのがよいのか

大人の鉛筆はあんまり大人な感じがしなかった

すこし前までは水性ボールペン、今は万年筆を使ってて鉛筆・シャーペン系は
長らく使っていなかった私ですがちょっと鉛筆も使ってみようかという気に
なっていた今日この頃

とはいうものの水性ボールペンや万年筆に慣れてしまってシャーペンのカキカキした
書き味はもはや体が受け付けない感じ
太い芯で2Bとかにしてみたら改善するかもと思ったけどあんまり変わらなかった

ちょっとマニアックなところで芯ホルダーもちょっと試してみたけどすぐ芯が
抜けてしまうのでちょっと避けたい気分
まあ万年筆と違って安いし買ってみるかという気になって買ってみた

書き味は鉛筆らしく、悪くない っていうかいい
筆圧をかけて書くのは久しぶりで、意識しててもしばらくすると字が薄くなっている
2Bにすればもっと書き味も濃さも好みに合うかな

芯削り器がついてるとはいえ線は太くなりがち
手帳に書くのは無理なのでノート用かな
しかもA4とかの大きめノートにアイデアを殴り書きみたいな
スケッチとかする人にはよさそう

でもなんかこう自分的には鉛筆感、大人感ともにあんまり満足できなかった

鉛筆感としては先端・ノック部が金属なのが痛い
強度の問題があるのかもしれないけど、どうしても金属でないといけない
本当の最小限の先端部分だけ金属にするとかできなかったかな
先端が曲線を描いて細くなるのも鉛筆っぽさを失ってる原因かもしれない

大人感としては先端・ノック部分の質感が高級な感じじゃないのが残念
なんかカタカタするのも高級感を下げる気がした

「大人」っていう言葉から「ゆとりを持って不便を楽しんでるくらいの
落ち着いた雰囲気を持った人」みたいなイメージを持ってたんだけど
「大人の鉛筆」の「大人」は「普通の鉛筆は不便で使いづらい便利なものを
探してた実用本位な大人」だったのかもしれない

使い勝手としてはキャップしなくて済んだり(太い字でよければ)削らなくて
済んだり鉛筆よりいいくらいだと思うんだけどどうも惚れ込むまではいかない
かえってこれなら開き直って完全にシャーペンな三菱 ユニ フィールドが
いいかもしれないと変な方向に物欲が走っている
芯ホルダーは芯をちょうどいい長さに出すのがどうも面倒で・・・

つーか、自分の思ってたような大人なら最初から普通に鉛筆を使ってるよな
シャーペン風のギミック(とは言わないか)がついたものを買ってる時点で
大人っていうより少年(よく言えば)だったな
まあ万年筆もキャップレスだし